歴史

大正デモクラシー時代の新自由教育運動から生まれた和光

和光小のチラシ
(1933年当時)

和光小学校の創立は1933年。1933年11月10日、成城小学校から分かれて創立されました。大正から昭和にかけての日本では、 大正デモクラシーの時代的な背景を受けて、自由で個性を尊重する私立学校が誕生していました。自由な環境の中で個性重視の教育を求める親たちが、校舎を建て、教師を集めて新しい学校を世田谷区経堂の地に創りました。和光小学校の誕生です。当時の募集ポスターには 「理想の新学校」の理念が次のように書かれています。

"定員が少なくて 個別的に手が届く 健康に恵まれた学園"


新しい校舎、新しい校章、新しい校歌

和光が新学園としてスタートする時、創立関係 者は皆一様に新しい学校づくりに燃えていまし た。理想を高く掲げる創設メンバーは、新しく建てる校舎はもちろんのこと、校章は、長崎の「平和祈念像」を代表作とし多くの作品を残した彫刻家の北村西望氏、校歌は日本を代表する作曲家・山田耕筰氏、作詞には北原白秋氏と、その道の日本一の人に依頼することにしたのです。

1934年当時の和光小

「和光」という名の由来

「和光」という名は、和光小学校初代校長の吉田慶助氏がつけたと言われています。2つの説があります。一つは、吉田校長が 建設中の学校に向かう途中の坂で和らいだ光を受けて命名したと いう説です。もう一つは、吉田校長は老子の研究を深めた人で、老 子の言葉にある「和光同塵」からとったという説です。「和光同塵」 とは、高見にたって知をひけらかすのではなく、塵の中に交わって その中で光るような知を備えた人間こそ価値があるという教えで す。この二つとも、間違いではないだろうといわれています。


戦後の再建と発展

戦後の焼け野原の広がる中、和光小学校は1946年授業を再開しました。教員3名、児童9名でした。その後、1947年に和光中学校の設置、1950年にコア・カリキュラム連盟(コア連:現日本生活教育連盟)の実験校への指定を経て、再建の道を着実に進め、その規模を拡大してきました。和光鶴川小学校は和光学園の2つ目の小学校として、1992年に町田市鶴川に設立されました。

和光学園は、現在では6000名を超える総合学園へと成長しました。